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- 2013.03.24 Sunday
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「放射能から子どもを守るネットワーク福島」というメーリングリストに、
時々詩を投稿しています。
さて、そこに投稿している人達への批判?不満?イライラ?を
定期的に他の人のブログに投稿している「お母さんは心配性」と言う方が
いることがわかりました。
なんと、その中には、私の詩の投稿についても
中傷めいたことが書かれてありました。
「びっくりする内容」とか、駅前で歌っていることへの批判や、
息子に脱原発をやることが迷惑だと言われ凹んだ心情を書いた詩を、
「親より子どもがまとも」だといったような内容でした。
この方のイライラは、復興で、地域で生きることに懸命なのに、
なんで避難や放射能の危ない話ばかりするんだ!というようなところから
来ているのかもしれません。ウーム・・・。
ただ、いろんな意味でいまの福島の状況を表しているように思います。
● 本当の復興とは?
原発事故の責任はすべて国と東電にあります。
あらゆる選択肢を用意して被害者が選べるようにする義務があります。
「福島の復興」もいろんな形があると思います。
残る、出る、行き来する、何十年後に戻るなど、福島で生きるためには
いろんなことをやっていくしかないと思っています。
ですから、考えの違う人どうしで叩きあい、ののしり合うのではなく、
今、福島やチェルノブイリで起きていることをしっかり見つめられたら、
選ぶべき「復興」の形が見えてくるように思います。
4号機の危機も続いてます。
助け合ってサバイバルしていかなければならない時期ではないでしょうか。
ま、詩を書く人間は中身が勝負と、このことを詩にしました。
「心配性」さん、今度の出来はいかがですか。
みんな 生きなければならない
2013.1.29
死の 灰は
あなたにも わたしにも
等しく 降る
大切な人の 肺の中 きらいな人の髪の毛に
そっと 死の灰は 入り込む
お父さんが 小さい頃
放射能は 死の灰って 呼ばれてた
雨にぬれたら ハゲになるって 言われてた
死の においのする 放射能
これは 昔話 じゃないんだよ
ベラルーシの 病院に横たわる
青白い 子どもたちのすがたは
28年後の フクシマの未来
それを お前の未来にしたくはない
死の灰は
1ミリシーベルトを 恐れる人の子どもにも
20ミリシーベルトを 気にせぬ人の子どもにも
等しく 降る 降る 降る
ああ そったに 原発 ほしいなら
おめさんの 街さ 建てたらいいべしさ
東京さ こせえたら いいべしさ
わざわざ アオモリの原発から
電気 運ぶごど ねえべしさ
原発事故の ありがたさは
誰もが ヒバクすることを
愛しい いのちの あることを
みんなに おしえてくれたこと
だれもが 気づかなければ ならない
みんな 生きなければ ならない
日曜の夜に米沢に行き、今朝、二本松に帰ってきました。
週末避難している娘を高校に送るためです。
国道13号の雪はすごく、車高をとっくに超えてます。
特に栗子峠を越えるときは路面凍結、地吹雪と怖いです。
でも、一面の銀世界は、昔、登ったヒマラヤの、神々のいる世界を思い出させます。
「セーリング」という有名な歌があります。その内容ですが、
「私は航海している。ふるさとに還るために。嵐の海を航海している。
でも、そんな時にあなたを近くに感じ、自由を感じる」と私は解釈しています。
ふるさととはどこでしょう?あなたとは誰のことでしょうか?
私にはそれは、魂のふるさとであり、あなたとは神さまのことを言っているように
聞こえました。
原発事故で二本松、米沢と二重生活の私たち。
国・東電への恨みもありますが、何かに気づかなければ、
まっとうな怒りで動かなければ、私の体と心はきっとボロボロになるでしょう。
栗子峠の凍てつく道は、私に何かを教えてくれています。
「おそるるは」
2013年1月21日
息 白く
なにもかも 凍み上がる 朝
米沢から 福島に向います
モノクロームの 栗子には
見えぬ ちからが おわします
神さま 近くに 感じます
あなたに 愛が 満ちるよう
わたしに 慈悲が 宿るよう
吹く風 一枚の木の葉
嫌いなひとの 言葉の陰に
わたしを責める 言葉の裏に ひそんでる
大事な意味に 気づけるよう
ハンドルを握りつ 祈ります
おそるるは 大いなるもの の 声
アイスバーン ではない
17日に新潟のNHKテレビで、佐渡の保養センター「へっついの家」に
保養と家直しにきていた福島の中学生M君の放送がありました。
新潟の放送なのでまだ見ていませんが、佐渡の仲間からはとっても良かったとの
コメントをもらいました。
放射能から身を守るための保養にきているという紹介だったので、
少しは福島の状況は伝わったかもしれません。
佐渡の「へっついの家」は築100年の古民家で、五右衛門風呂やかまどなど
なつかしいふるさとの匂いがする家です。
そんなことを思い「ふるさと」という詩にしてみました。
良かったらお読みください。
ふるさと 2013.1.18
おとうさんは 岩手の 平舘
小学校が 前にある
おかあさんは 横浜の
細谷戸 県営住宅で
近くに 米軍基地がある
兄ちゃんたちは 引っ越して
今じゃ 二本松がふるさとだ
避難した先 米沢は
おまえの ふるさとになるだろか
ふるさとには戻れない
だから ください 仮のまち
押し寄せる 原発難民の群に
避難者は出て行け の 落書き
壊された 高級車の窓ガラス
分 相応にしろよ ひとり10万も もらってよお
何があったか 知らないが
何を恐るか 知らないが
いかる相手がちがうだろ
わたしにとって ふるさとは
あったかな まなざしと
ささえる 仲間のいるところ
マスクをはずして
思いっきり 空気が吸えるとこ
わたしにとって ふるさとは
懐かしい未来に つくるとこ
1月12日から14日までいわきでハイロアクションの会議がありました。
久しぶりに会う顔、顔。島根に避難している草野さん、福岡のさえちゃん、
金沢の浅田夫妻、岐阜のまさきさん、会津のあやちゃん、三春の類子さん、
いわきの和義さんとハイロの仲間に再会しました。
そもそも「ハイロアクション」は、2011年の3月27日に40年を迎える
福島第一原発の廃炉をめぐって全国会議を開こうとしていたネットワークで、
開催の直前の矢先、「3・11大震災」と「福島原発事故」は起きてしまい、
メンバーも全国に散り散りになってしまいました。
さまざまな絶望を味わいながら、それでも行動を起こしていこうよと
話し合いました。
その内容は割愛しますが、会議の中で出た話をもとに詩を書きました。
写真は山木屋地区の仮置き場です。累々と汚染土ありました。
「新春放談」
アメリカの兵隊が
トモダチ作戦でヒバクした
なあんも 知らされてねがったからど
何十億だか払えよと 日本政府を訴えた
福島の被害者は ひとり4万円のはした金
ふざけてるよなあ
ひとり 一億円出せと
訴えても いいんだよ
いいねえ 応援するよ
おれんところの 除染で
1.5トンの袋が 500袋出たんだよ
1町歩 あっからなあ
どこさ 持ってたかは知らねえが
どこかの 借り置き場だべ
そったらこど やってねえで
原発さ 持っていき
ぶちまけたほうが 早いべさ
それくらい やってもいいんだよ
いいねえ やってよ 応援するよ
いやあ 俺はやらないけどさ
セキさん 今度は 歩いて土 運ぶんでなくて
ダンプで 突っ込むのはどうだい
顔を上げると
いいねえ 応援するよ と
皆が こっちを見る
12月27日から1月5日まで佐渡の保養センター「へっついの家」で
古民家の改修と保養を兼ねたキャンプをやってきました。
「へっつい」とはかまどのことです。
さて、改修作業は水が出なかったり床が抜けたり、寒かったりと厳しかったのですが、とてもいい冬キャンプになりました。
その内容は「福島サポートネット佐渡」http://saponet-sado.jugem.jp/でも紹介していますのでぜひ、ご覧ください。
春休みのキャンプに向けたいい準備ができました。
「へっついの家」改修のお金は助成金を申請していますが厳しい現実です。
実現のためにぜひ、協力してください。
(↓ご寄付はコチラです↓)
http://saponet-sado.jugem.jp/?eid=33
さて、「正月」というテーマで詩を書いてみました。
いただいた年賀状を見ても、福島の今を反映してかごく普通の挨拶もあれば
事故の影響を気遣ってくださる内容といろいろです。
数も減りました。5分の一くらい。
私の中では去年から正月気分はありませんが、佐渡では確かに伝統的で厳粛な気持ちにさせられる
「お正月」がありました。
お正月さま
みそかの佐渡の へっついの家の玄関に
松と ゆづり葉のお飾り
これで お正月様がいらっしゃる
紅白を見たら 雪の道を大願時へ
やがて始まる 除夜の鐘
煩悩即菩提 色即是空 諸行無常
ボンノウ ソク ボウダァイ
シキ ソクゼエ クウ
ショゥギョウ ムゥジョゥオ
悲しかったこと 楽しかったこと
恨んだことや 喜んだこと
無くしたことに 手に入れたこと
何やかんやが浮かんだが
ゴゥオーン の鐘の一発で
なあんも かもが吹っ飛んで
新しい年に切り替わる
明けまして おめでとうございます
いい年になりますように
では よいお年を
二本松の我が家では
3・11のかけらが そこかしこ
松飾りもないこの家に
お正月様は 来てくださるのだろうか
ひとり コタツで年賀状を見る
その一枚に
希望の芽が生まれる
良い年でありますように
とあった
お正月様は 来てくださったようだ