- 2013.03.02 Saturday
- 23:28
福島に残っている人達への思いを詩にしましたが、書ききれません。
言えることは、
原発から遠い生き方をしてきた人たちが、
ひどい目にあっているということです。
分かちあって欲しいのは辛さや悲しみ、痛みです。
持てるものを分けることだけが「分かつ」ことではないのです。
写真は福島市の水道局が水道水をペットボトルにして売り出したもの。
かなりバッシングされました。
カルトとも表されましたが、なぜ、人はこういった方向に向うのでしょうか。
なじょすべ
わたしね 病気 治すために
ムノウヤク野菜を 何十年も 食べてきた
福島で 野菜 こさえるごども
そこさ 居る ごども
やっては なんねえと 思うのさ
だから カンパ 送らなかった
まごどに 気の毒 だったども
と エミさんの 言う
測定所 立ち上げた
この 小松菜は 不検出
よかったら 買ってくなんしょ
それでも お客さん 3分の一
と タモツさんの 言う
下の 田んぼ 川の水が上がっから
1万ベクレル あるんだよ
阿武隈川の 青い 流れを見ながら
スギウチさんの 言う
ペットボトルの水道水 福島市が 売り出した
すると 世間はこう 言うんだ
カルト そのもの もう犯罪
ストロンチウムは 測ったの
プルトニウムは 出てないの
フクシマ県を 閉鎖しろ
なじょ すべなあ
おめさん方よ
確かに オレも食わねえし
飲んでくれとも 言わねえが
悩む こころに 沿うてくれ
オレたちに 欲しいのは
痛みを 分かつ こころだよ
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プロフィール
関ジョニー
本名 関久雄
岩手県生まれ
港湾で働きながら神奈川県の夜学卒業。1977年からバイトとヒマラヤ登山に明け暮れる。
1983年、登山中の転落事故が人生の転機となり、東京「ほびっと村」で無農薬八百屋の見習い。1984年「八百萬屋(やおよろずや)」開業。
1986年のチェルノブイリ原発事故をきっかけに脱原発運動に参加。各地で非暴力トレーニングを開催し、さまざまな反原発アクションを起こす。
1994年に福島県二本松に移住し、塾経営や社会福祉の仕事を経て、現在、自然体験宿泊施設NPO法人「りょうぜん里山がっこう」事務局長を務める。妻と子どもの6人家族。
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