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  • 2013.03.24 Sunday

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    「灰の行進」後日談  「出会い直しと世直しが始まっている」

    • 2012.09.19 Wednesday
    • 10:25
     

    716日の「灰の行進」の最終日、渋谷から代々木公園までの行進にはおよそ50人の仲間たちが集まってくれました。
    20数年ぶりの懐かしい友人の姿もありました。



    これまでの行進の足取りを確かめるようにゆっくりと
    「7・16脱原発10万人集会」の代々木公園に入り、
    メイン会場の壇上近くに陣取りました。
    先日、福島告訴団の武藤類子さんから、集会の最後に福島からの報告をするが灰の行進を紹介したいとの話があったのです。


    やがて類子さんのスピーチ。
    彼女は福島の運動の取り組みを紹介していき、
    「6月から放射能の入った土を背負って、二本松から東電と国に届けるためにテクテク歩いてきた方がいます。関さん、いらっしゃいますか?」と呼びかけてくれました。

    慌てて立ち上がった私に10万人の衆目が集まり温かい拍手をいただきました。
    さらに類子さんは「たった一人で始められた行進も、今日、この会場にはどれだけの方とやって来られたのでしょうか?」と話され、
    行進のメンバー全員が立ち上がりまた拍手をいただきました。


    集会後、いろんな方がやって「行進、見ました」とか
    握手を求められたりしました。
    そこへ、非暴力アクションネットの生田卍さんがやってきて、
    「近くにいた女性から、『関さんの下の名前はなんですか』と聞かれ、『久雄さんですが』と答えたら黙って立っているので気になってお連れした」と言われました。

    卍さんの後ろには小柄な中年女性が立っていて、「私、Tです」。
    見覚えのある面影、「Tさん?もしかして朝ちゃん?」と聞くと、「はい」との返事。本当に驚きました。
    彼女は私が20代の時、一緒に障害者解放運動に関わる中で恋仲になった女性です。でも、結局、彼女は別の男性と結婚。
    切なくほろ苦い思い出の人でした。
    まるで映画のストーリーのような10万人集会での30数年ぶりの再会に言葉もなく、ただ、「ありがとうね」と握手して別れました。


    Tという名字は旧姓のものです。何かあったのかな?
    彼女も原発に反対していたんだな等といろんな思いが浮かんでは消えて、それもいつかデモのシュプレヒコールにかき消されていきました。


    私とTさんとの再開エピソードはそれでおしまいです。

     

    こういった出来事を通して強く感じることは、
    昔、一緒に運動をやった人、親しかった仲間たちが福島原発事故を
    契機に動きだし、また、つながり始めているということです。

    一方、避難や放射能をめぐって人間関係が壊れたり離婚した人もいます。
    原発という人の犠牲の上に成り立つ文明で暮らしてきた私たちが、

    「これからどんな社会をどんな人と創っていくのか」

    の問いかけの前に立たされている、その結果を受けて
    人間関係も静かに分化してきているように思えるのです。

     

    「出会い直しが」始まっている。
    そして「世直し」も始まっている。


    あなたは、誰とどんな社会でどう生きていきたいですか。



    灰の行進の後日談

    • 2012.07.24 Tuesday
    • 14:33
     
    ● お世話になりました

     今日は6月以来のお休みで家事に追われています。行進ではこどもたちに家事をやってもらい助かりました。一段落したのでブログを書き、終わったら米沢に向かいます。今日は中1のこども一人なので米沢に泊ります。
     
    ● 出会い直しが始まっている

     7月16日の灰の行進〜10万人集会では懐かしい人たちにたくさん会いました。渋谷のハチ公前に始まって会場、デモのコースの途中でと、かつての市民運動の仲間たちと再会しました。横浜の米田さん、静岡の東くん夫妻、eシフトでがんばっている氏さん、末松さん、セイクレッドランのスーパーランナー秋山さん、月又さん、エマさん、阿木幸男さん、快医学の仲間、藤沢の智恵さん、卍さん、曳地トシ、ハルさんたち、福島の真理さんたち、灰の行進のことを知って駆け付けてくれた人、ここで必ず会えると表参道で待っていてくれた河戸さん、エイサーの太鼓をやってくださった豊岳さん、チェルノブイリ事故がきっかけで宮城の丸森に入り有機農業をやっていて福島原発に合った北村さん、光円寺さん、そして、会場で武藤類子さんから紹介されたことがきっかけで30数年ぶりに再会した朝ちゃんなどなど書ききれない人たちと再会しました。本当に驚きの連続で、何か古からの縁のようなものと懐かしさと切なさとここで再び出会う意味を感じました。
     原発事故以来、人の関係が分かれてきている気がします。放射能をめぐって人間関係が変わっています。離婚もある。そういった中で、出会い直しが始まっていり気がします。

    ●「虹の戦士」たちよ集まれ!

     アメリカインデアンの言い伝えに、世の中が混乱し破滅の方向に向かう時、どこからともなく虹の戦士たちが現れて世の中を変えていくといった話があります。私と私の仲間たちの多くは、いささか疲れてはいる中年の男女ですが、心には熱いものを秘めた面々です。それぞれが各地に散って生活の場を営む中で、今回の福島原発事故をきっかけに、「虹の戦士」として再び集まっている、、、なんて気がしてます。これまでの経験を生かし若い人につなぐ役目のようにも思います。原発事故以来、私の行動は、どれも何か見えない力に後押しされているような感じがあります。行進もこどもの疎開キャンプもそうやってやれてきています。


    ●「ごくろうさまでした」

     行進のことが新聞に載った時、息子からは、「また新聞に出たんだって?もうマスコミに出ないで。俺たち家族のことを考えろ!」と抗議のメールがきました。公務員の息子は立場が微妙だと思います。 「でもなあ、誰かがやるしかないんだよなあ」、と腹の中でぼやいて黙ってました。そんな中、近所の人と出会うと、「東京まで歩いたんだって、御苦労さまでした」とか、「土持っていきたい気持ちはみんな同じだよ」とか、電話で、「よくやってくれた、ありがとう」との言葉もあって驚きました。悪くは伝わっていないみたいとほっとしました。そんな中、休みに草刈りをして息子と会いましたが、「よ、お疲れ!」とフツーでした。世間の評価を聞いて安心したのかしらん。息子よ、こんな親父を持った不幸とあきらめておくれ、と呟いています。かっこ悪い戦士だなあ。

    7月17日、東電、経産省へ汚染土を届けてきました。

    • 2012.07.18 Wednesday
    • 11:02

     7月17日に東電と経産省に申し入れ書と汚染土を持っていきました。その報告です。
     17日は賛同者20名ほどと東電に向かいました。日比谷公園から私服警官が監視してました。数日前、東電と経産省に電話で申し入れをしてから日増しに緊張してま
    した。

    ●日比谷公園に集合

    日比谷公園到着



    ●各地から集まった汚染土

    各地から集まった汚染土

    福島の土



    ●東電に向けて出発。

    東電に向けて出発



     東電の正門で、福島から申し入れ書と汚染土を持ってきたことを伝えました。向こうは2〜3人程度で中で対応すると言ってきましたが、結局、土を持ってきた人、マスコミと10数人入ることができました。


    ●東電前での交渉、入管制限される

    東電前到着・交渉

    東電前

    東電前



     東電本社の中の薄暗いロビーには担当者の青木部長さんら3人が待っていて、そこで挨拶をして申し入れ書を読み上げ、汚染土を見せ、これを渡すために持ってきた、受け取ってくださいと床に置き、持ってきた人全員が置いてそれぞれの想いを語りました。青木氏はお詫びの言葉を述べ、汚染土は受け取ることはできないが皆さまの思いを受け止めお預かりいたします、と話しました。電話では汚染土の返却はご遠慮願いたいと言ってましたが、断ることはできないと思ったのでしょう。


    挨拶



    ●声明文を読み上げる。

    申請文読み上げ



    ●被災者からの想い。

    土返還者からの言葉


    ●「子ども福島」さんからも一言。

    子ども福島からの言葉



     汚染土を渡した後、門に戻り、参加された皆さんに簡単に経過を話してテント村に戻りました。汚染土を受け取らない場合は直接行動で置いてくる、トラブルもあると想定していましたからホッとしました。対応した東電社員のことが印象にあってそのことを詩にしてみました。


    行進の詩(うた)
    「アオキさん」
     
     
    申し入れ書を読み上げた
     
    私と 私の家族が
    どんな想いで暮らしたか
    なんで離れて暮らすのか
    辛い 悲しい日々なのに 
    なんで原発、動きだす
    そんな この国のありようを 
    私は歩いて訴えた
     
    「原発いらない、
     こどもを逃がせ」
     
    ふと 目をあげると
    アオキ部長が 緊張した顔で
    みじろぎもせず 私を見ていた
     
    この人にも家族がいて
    家ではきっと いいお父さん
    家族を守るために
    一生懸命働いてきたのだろ
    アオキさんに 私の思いは届くかな
    アオキさんは 私の声を届けてくれるかな
     
    申し入れ書を
    卒業証書のように受け取る
    アオキ部長の指が
    震えていた
     
    「汚染土を
    受け取ることは できませんが、
    お預かりいたします」
     
    あなたにも 私にも 
    大切な家族がいる
    その大切な家族を守るために
    でも、してはならないことは
    人の悲しみや痛みの上で
    ご飯を食べること
     
    気づいたら
    こっちの道 歩きましょうよ
    明るいビンボーも 悪くないですよ



    ● 終了。

    終了


    ●正門前で報告

    締めの挨拶



    ●経産省に向けて打ち合わせ。非暴力の確認

    経産省にに向かう挨拶




    ●経産省に向けて出発。

     東電に申し入れ書と土を渡した後、テント村で休み、12時40分に経産省へ向かいました。テント村の福田さんが経産省のつなぎ役をやって下さり助かりました。「なんみょうーほーれんげきょう」のお題目と太鼓が後ろから聞こえます。
     経産省に行くと時間が早いにも関わらず担当者が出てきて、中に入る人はゼッケンや旗は取るようにとのこと。少しドキドキしました。灰や土を持ってきた全員で入りました。報道の記者、カメラマンと中に入りしばし待つと担当の福田さんがやってきました。そこで、「原子力政策の見直しを求める申し入れ書」を読み上げ手渡し、土を持って来たと告げて、皆で福田さんの前に置きそれぞれの思いを話しました。福田さんは「皆さんの声を聞きました。しっかり受け止めるようにいたします」と述べて10はあった袋を手にし運んでいきました。灰はどこに持っていかれたのでしょうか。
     テント村に戻って簡単な報告と参加者から一言、話してもらいました。暑い一日でした。参加してくださった快医学、非暴力アクション、佐渡ネットを始めとする皆様ありがとうございました。経産省へ灰を渡したやり取りは下に詩の形でまとめましたのでご一読ください。

     行進はこれで終了。仲間と別れて国立に向かいました。夜はカフェ「レラ」でお話し会をやりました。行進はまだ続きそうです。

    経産省へ向かいます
    経産省前
    経産省前

    ロビーにて担当者を待つ経産省前
    担当者待ち
    声明文を読み上げ
    声明文を手渡し
    福島からの声
    福島からの声
    汚染土を持つ担当者
    経産省の削られた表札

    経産省終了締めの挨拶
    帰りの車内にて



    行進の詩(うた)

    「 死の灰の行方 」

     
    受け取らないって言われたら
    どうするの?
     
    目の前の机に
    土をバシッと置いて
     
    ほら、土だ、けえしにきたぞ
    うけどってくれろ
    おめさんが 放射能を取ってくれたら
    いつでも引き取るぞ
     
    言うが早いかさっさと帰ってくる
    ・・・はずでした
     
    「皆さまの声を受け止めて
    汚染土はお預かりします」と
    若い経産省のお役人
    すると
    サキさんがこういった
     
    これは15,000ベクレルの
    船引実家のいろりの灰
    200年の団らんの火が消えました
     
    マツモトさんがこう言った
     
    あのなあ 福島の人はなあ
    皆、この灰の中に暮らしておるで
    灰どうするか わからんが
    せめてなあ あんたらのな
    机の上に置いてなあ 
    灰をながめて仕事したら
    本気で仕事やれるかもしれんで
     
    両手に灰をぶら下げた福田さん
    どこに運ぶのかな
    植え込みの陰?
    第一原発?
    それとも 机の上



    ●国立の素敵なカフェ「レラ」で福島の話をしました

    国立の薬膳カレーのお店「レラ」
    レラでのお話会

    7/16 さようなら原発十万人集会。

    • 2012.07.17 Tuesday
    • 02:12

    7月16日にいよいよ都心に入りました。10時、待ち合わせの渋谷、ハチ公前には場所には快医学、
    非暴力アクション、福島の人、あるいはブログや新聞で見たという人たちが土や灰を手に集まってきました。その数およそ50人!
    そばではドイツのテレビ局がずっと撮影していました。


    ハチ公前に集合


    沢山の友人に再会


    「死の灰」のはちまきや灰の行進の内輪、思い思いのゼッケンや旗をつけ
    太鼓や鐘を鳴らしいよいよ出発。


    渋谷から代々木公園に向けて出発


    代々木に向かう行進



    いろいろなマスコミの取材を受けながら11時には代々木公園へ。
    すでに大勢の人で溢れていました。


    代々木に到着

    メイン会場の第一ステージに陣取りましたが大変に暑かったです。
    続々と集まった人で会場は埋め尽くされ、空にはたくさんの報道ヘリコプターが
    飛びまわっていました。集会ステージ前

    やがて「さようなら原発10万人集会」が開かれ、主催者発表では17万人が集まったと報告され会場から大きなどよめきが起きました。
    小室等さんのライブから始まり、大江健三郎さんら著名な方々のあいさつが続き、
    最後は福島の武藤類子さんのスピーチでした。
    静かな語り口で福島を初めとする脱原発の動きを紹介しながら、
    最後に「灰の行進」を紹介して下さいました。
    実は数日前に類子さんから、「10万人集会で灰の行進のことを紹介したいがいいか」と
    打診がありました。
    構いませんよと話していたのですが、類子さんは時間を割いて行進のことを説明して下さいました。
    紹介を受け立ち上がって礼をしたのですが、「一人で始めた行進も、今日はどれだけの人が集まってくださったのでしょうか」と聞かれ、行進のメンバー全員に立っていただき会場から拍手をいただきました。
    類子さんは、皆さんはよくがんばってこられた、今日は自分を、隣にいる人をほめてやってくださいと話されました。
    ジョアンナメイシーの「絶望こそ希望である」の言葉を引いてお話をまとめられ
    感動を呼びました。
    私もこの日に、「灰の行進」のメッセージを作って配布しましたが、
    同じように「希望」がテーマでした。

    会場で配布した私の、「みなさんは希望であり、私たちもまた希望です」を貼りつけますのでよろしければお読みください。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    「皆さんは希望であり、私たちもまた希望です」


         ― 灰の行進からのメッセージ −

                     
                     
    関 久雄(福島県・二本松市)

      

    「原発いらない」、「子どもを逃がせ」

    このメッセージを背中に、手には庭の土を持って6月12日二本松市
    から歩き始め、7月16日、都心に入りました。


     「この土の中の放射能は私たちのものではない。東電と国に返
      したい。」

     3・11大震災とそれに伴う福島原発事故で私の家族は逃げ遅れ、余震と放射能の恐怖に怯え、どうやって生き延びることができるかの希望の種を探し、あちこちに「助けてください」と電話をしました。

    すると、ある人は味噌と玄米を送ってくださり、ある人は手当法を教え、ある人はカンパを下さいました。
    友人は燃料を満載にした車で駆けつけてくれ、また、見知らぬ方々が避難の受入れ先になることを申し出て下さいました。

    国や地方自治体が情報を隠し、住民を守るための判断力を失っていった中で名乗り出てくださった皆様方は私たち家族のみならずフクシマの希望であり、セーフティネットそのものでした。

     
     「原発事故は天災でも人災でもなく、文明災だ

    との声があります。文明がもたらした災いとは何でしょうか。
    原発に象徴されるように、人を被ばくさせることの上に成り立つ経済のあり方そのものです。
    今の福島は被ばくを強いられ、避難の保障もされない棄民地です。
    原発だけではありません。派遣で失業したとたんにホームレスになる世の中、「自己責任」、「格差社会」で人のつながりが断たれ、絶望させられる社会から私たちは決別しなければならない、そのことを福島原発事故は教えています。

    原発を必要とする社会=「滅びの文明」から、
    人とひと、人と自然が共生できる文明」へとシフトしていかなければなりません。それは必ずできます。今がその時です。

     「7・16、10万人集会」に集まられた皆さん、皆さん方は「希望」です福島を始めとする被災地に勇気を与えてくださる希望そのものです。そして、私たちも希望です
    フクシマで懸命に生き、身を護り、支え合い、おかしなことにはノーと言い続け、仲間と支え合って生きる私たちもやはり希望なのです。皆さんと私たちの「希望」を重ね一筋の光となり、原発のない社会にしていきましょう。



    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    そして、いよいよ10万人デモ行進と合流。

    デモ行進へ出発

    若者たちのシュプレヒコールが盛り上がり、なかなか前へ進めない・・・。


    なかなか前へ進まず

    警備にあたる警官隊。沢山いましたね。
    プラカードを差し出すと、目をそらす警官や小さくうなずく婦人警官もいました。

    待機する警官隊

    16日、17日の行進スケジュール

    • 2012.07.11 Wednesday
    • 20:47

     16日の10万人集会、灰の行進スケジュールです。
    10時に渋谷ハチ公前に集合。
    そのまま代々木に向かいます。
    それぞれの地域の「土」「灰」をご持参ください。
    私は竹竿の先にぶら下げて歩いてますが、量が多いと疲れます。
    ゼッケンなどもご用意ください。

    17日の東電本社、経産省責任所在申し入れは、
    9時半に日比谷公園 中幸門(なかさいわいもん)に集合です。
    日比谷図書館と日比谷公会堂の間にあります。
    これは、デモではありません。
    徒歩で東電本社と、経産省別館資源エネルギー庁に向かいます。
    10時に東電本社前、11時に経産省エネ庁前です。

    両日とも、福島県民の参加、大歓迎です。
    怪我や事故に関しては、自己責任、自己管理の考えの元、ご参加ください。

    7月10日の灰の行進報告

    • 2012.07.11 Wednesday
    • 03:04
     
    10日は松戸から東京の浅草まで5人で歩きました。
    この日、ドイツのテレビ局の取材が入りました。
    本当に暑くて参りました。

    遠くに見えるスカイツリーを目指しててくてく。
    昼休みにインタビューを受けましたが、「なぜ、歩こうと思われましたか?」
    の質問にはウーム、と考えました。
    あまり深くは考えた行動ではなかったからです。
    ただ、東電と国に土を持っていき、
    「この中の放射能は私のものではない。あなたに返しに来た」
    と付きつけたいというのが一番の目的でした。

    原発事故の責任がどこにあるのかを分かりやすく社会に伝える。
    汚染された中で暮らさざるを得ないこっちの身になってみろ!という行動です。

    ではなぜ、「行進」なのか、車や電車で行ってもいい訳ですから。
    インタビューを終えたあともいろいろ考え、詩にしてみました。


    「なぜ歩くのかと聞かれて」
    歩くたびに
    軽くなっていく気がする
    汗に涙、脂肪もすこし
    歩くたびに
    空っぽになっていく気がする
    悲しさ辛さ、怒りに恨み
    背中には「原発いらない」のダンボール
    「がんばって!」の声に 
    行進やってんだっけ、と気づく
    空っぽの心のままで
    あなたに届ける 私の想い
    本当は悲しい
    本当はつらい
    歩くから 伝わる
    歩いたから 伝わるのかなあ

    7月9日の灰の行進報告

    • 2012.07.11 Wednesday
    • 02:56
     
    7月9日は千葉に入り、柏から松戸まで歩きました。
    今回もアトリエとおのさんが同行してくれました。

    ここ東葛地域はホットスポットが見つかったところです。
    線量計で計ったところ0.3ほどありました。
    その地域をマスクもしないで子どもたちが遊んでいました。
    関心は低いのかもしれません。
    でも、ここの人工は400万人いるとかで、低線量被ばくしたら
    とんでもない数の人に影響が出るのではないかと思います。
    暑い日でした。

    この日、1時に横浜からのSさんと日本山妙法寺の福田さんの3人で歩きました。
    南妙法蓮華経のお題目と太鼓。Sさんは「福島から歩いてます」と道行く人に話しかけ、私は汚染土を旗の先に下げて歩きました。

    暑く、汗が流れました。

    人の反応は少なく4時半に松戸駅で終了しました。
    夜は八百屋旬でお話会を開きました。
     

    7月9日、10日の行進スケジュールです。

    • 2012.07.06 Friday
    • 09:41
    関です。 

    月9日(月)、千葉県柏駅西口12時半集合13時出発。6号線を西へ。 
    時松戸駅終了予定。その後、車で「天神庵」 http://yaoyasyun.sakura.ne.jp/index.htm
    (電話:047−343−2756)へ移動。
    夜19
    時から福島の話をします。皆様、ご参加ください。

    月10(火)、松戸駅8時半集合、9時出発。6号を東京へ。浅草に着いたら終了。
    終了予定は13
    時です。挨拶をして解散します。

    月16日(月)は10時―11時で行進をして代々木公園に入りますが、  
    どこから出発するかが未定です。(デモ申請のため)
    決まり次第、当ブログにてお知らせします。

    7月17
    日比谷公園9時に集合して9時半出発。
    10時東京電力本社、11時に経済産業省へ行き、
    12時はテント前に行って解散です。
    集合場所は決まり次第、お知らせします。
    前回入力時に集合場所を代々木公園と入力してしまいました。
    正しくは「日比谷公園」です。訂正をよろしくお願いします。



    灰の行進の情報が色んなところに拡散しているようです。
    どうぞ、このブログを広めてください。
    http://jhony-message.jugem.jp/

    灰の行進が新聞に掲載されました。(7/3)

    • 2012.07.04 Wednesday
    • 13:37
     
    7日目の「灰の行進」を終えて帰ってきました。
    7月2日と3日で宇都宮〜小山間、約40キロを歩きました。

    7月2日は暑くきつかった。
    でもね、ひたすら歩いて行くと、どんどん私の内面が深まっていく感じがするんです。いろんなことを思いながら歩いています。皆さんもご一緒にいかがですか。
     
    さて、今日の東京新聞に行進のことが載ったようですね。ありがとうございました。













    6/26日の灰の行進報告

    • 2012.07.02 Monday
    • 10:10
     27日は那須から有機農業をやってるKさんたちと一緒に黒磯まで歩きました。
    靴ずれにも負けず、みなさんよくがんばって歩きました。

    終わってから農家レストランのWさんたちと10数人で食事と交流をしましたが、
    那須も線量が高く0,4マイクロシーベルトありました。
    皆さん、不安を感じています。
    また来ますと帰ってきましたが、問題は福島だけではないのですね。
    それぞれの地域の放射能を図り、住民自らが対応していかなければならない状況になっています。


    「歩いても 歩いても」

    歩いても 歩いても
    長く 長い道
    どれだけ 歩いたら
    あなたに 辿りつける

    なげいても なげいても
    遠く 遠い空
    どれだけ 涙流したら
    あなたに 辿りつける

    風になって 鳥になって
    あなたに会いに行く
    海も山も 
    時も超えて
    あなたの そばにいるよ (7月2日)
     
    来週は千葉から東京に入ります。
    16日の集会のあと、17日に東電と国に放射能の土と想いを届けに行きます。
    同行者を求めます。
    それと、7日、里山での「七夕歌声チャリティコンサート」は参加費が1000円でカンパ込みです。
    ピザと飲み物がつきます。ぜひ、里山がっこうに遊びにいらしてください。

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    プロフィール

    関ジョニー
    本名 関久雄
    岩手県生まれ
    港湾で働きながら神奈川県の夜学卒業。1977年からバイトとヒマラヤ登山に明け暮れる。  1983年、登山中の転落事故が人生の転機となり、東京「ほびっと村」で無農薬八百屋の見習い。1984年「八百萬屋(やおよろずや)」開業。  1986年のチェルノブイリ原発事故をきっかけに脱原発運動に参加。各地で非暴力トレーニングを開催し、さまざまな反原発アクションを起こす。  1994年に福島県二本松に移住し、塾経営や社会福祉の仕事を経て、現在、自然体験宿泊施設NPO法人「りょうぜん里山がっこう」事務局長を務める。妻と子どもの6人家族。

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