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  • 2013.03.24 Sunday

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    病院にて

    • 2013.03.20 Wednesday
    • 22:44
     

     娘の手術をきっかけに書いた詩です。

     

     

     

    病院にて

              2013.3.10

     

     

    点滴 ポタッ ポタッ

    手術のマスイ 切れ

    痛い いたい と 娘の うめく

     

    前十字じん帯 断裂

    高校最後の バスケの試合で やっちまった

     

    痛いよなあ と 

    冷たい足先をさするが

    目は なんとなく のど元へ

    甲状腺に のう胞 A2との診断

    避難もしたし 西の野菜も食べさせた

    マスクは嫌がってたけどなあ・・・

     

    逃げた日に ヨウ素がいっぱい降ったって

    と 連れ合いがこぼす

    仕方ねえべ ガソリンはねえし

    南さ 所沢しか 行くとこ ねがったんだよ

     

    チェルノブイリの知見では 4年後と

    100倍にもなった フクシマの甲状腺ガンを否定する

    バカヤローの 医大

     

    ありがとう 温かくなったよ と 娘の言う

    そう 良かった 

    お父さんの手からは 気が出るんだよ

    足を さすりつ 祈ります

     

    おまえの

    いのちのちから 失せぬよう

    わたしに

    まことの やさしさ 宿るよう

    「分かつこと」

    • 2013.03.02 Saturday
    • 23:28



     
    福島に残っている人達への思いを詩にしましたが、書ききれません。
    言えることは、
    原発から遠い生き方をしてきた人たちが、
    ひどい目にあっているということです。
    分かちあって欲しいのは辛さや悲しみ、痛みです。
    持てるものを分けることだけが「分かつ」ことではないのです。
    写真は福島市の水道局が水道水をペットボトルにして売り出したもの。
    かなりバッシングされました。
    カルトとも表されましたが、なぜ、人はこういった方向に向うのでしょうか。

     

     

     

    なじょすべ        

     

     

    わたしね 病気 治すために

    ムノウヤク野菜を 何十年も 食べてきた

    福島で 野菜 こさえるごども

    そこさ 居る ごども 

    やっては なんねえと 思うのさ

    だから カンパ 送らなかった

    まごどに 気の毒 だったども 

    と エミさんの 言う

     

    測定所 立ち上げた

    この 小松菜は 不検出

    よかったら 買ってくなんしょ

    それでも お客さん 3分の一

    と タモツさんの 言う

     

    下の 田んぼ 川の水が上がっから

    1万ベクレル あるんだよ

    阿武隈川の 青い 流れを見ながら

    スギウチさんの 言う

     

    ペットボトルの水道水 福島市が 売り出した

    すると 世間はこう 言うんだ

    カルト そのもの もう犯罪

    ストロンチウムは 測ったの

    プルトニウムは 出てないの

    フクシマ県を 閉鎖しろ

     

    なじょ すべなあ 

     

    おめさん方よ

    確かに オレも食わねえし

    飲んでくれとも 言わねえが

    悩む こころに 沿うてくれ

    オレたちに 欲しいのは 

    痛みを 分かつ こころだよ

    「ひなちゃんと紙芝居」

    • 2013.02.22 Friday
    • 00:57
     

    神奈川県の座間にある麦っこ保育園で福島の話をしてきました。
    子どもが相手だったので急ぎ紙芝居に仕立てて出かけました。

     
    麦っこ保育園に着いたら、雨の中、子どもたちがブルーシートで作った
    野天風呂に入っていてたまげました。
    子どもがごちゃごちゃいて何か避難所みたい。

    たちまち子どもが寄ってきて、

    「ねえねえ、おじさん、名前は?」
    「ジョニーだよ」
    「ジョニーだってえ。ね、笑って。あっ、かわいい!」

    ・・・と言われ、ジョニー、形無しです。


    紙芝居が始まりました。

    0歳児から年長児までが食いいるように見つめていた蓮くんのお話、
    「ぼくは米沢にいるよ」です。






    5歳のひなちゃんが帰りの車の中でお母さんに紙芝居のことを話してくれたとひなちゃんのお母さんからメールをいただきました。

    ひなちゃんの言葉がとても胸にしみたので詩にしてみました。
    詩のほとんどはひなちゃんの言葉です。


    ...


    「ひなちゃんと紙芝居」


    お母さん
    あの 紙しばい
    とっても かなしい お話だったね

    絵も きれいだったね
    サッカーボールも 描いてあった
    れんくん ぶかつも できなくなっちゃって

    おともだちや おとうさんと
    わかれなきゃ ならなくて
    かわいそう だった

    おとうさんと 
    さよならしなきゃ いけないところで
    ぎゅーって してて
    ひな なみだ 出そうになった

    ひなちゃん
    あれは ぜんぶ 
    ほんとうの話 なんだって

    えっ そうなの

    原発 ばくはつ したことも
    おともだちや おとうさんと
    わかれなきゃ ならなかったことも
    だまって 転校 したことも

    いまは 米沢に いることも

    「いまだ青春の途上」

    • 2013.02.15 Friday
    • 23:29
     
    飛騨の高山に原発のお話をしに行ってきました。
    夜の交流会は子どもの本屋でカフェ、そしてライブハウスでもある
    「ピースランド」でした。

    古い高山の風情が残る町家を改装したお店で、ディラン、ジャズ、フォークと
    70年代のにおいがそこかしこに漂っていました。
    前日には70年代を代表するフォークシンガー、三上寛のライブがあって、
    明日は友部正人のライブがあるとのこと。
    友部さんは僕も横浜に何回か呼んだことがある。
    その間をぬって僕は自作の「神無月」を歌い、
    店主の中神さんは高田渡の「生活の柄」を歌ってくれました。
    しみじみとして良かったなあ。
    思えばいまも昔も変わらない。
    恋もするしさ。


    60過ぎてもいまだ青春の途上です。

     




    さて、次の詩は帰りの新幹線の中の母子を見て書いたもので、
    自分の少年時代とかぶったものです。

     

     

     

    「かなわないや」

     

    東にむかう 電車の中 

    子どもに ほほずりする お母さん

    自信に 満ちて

    それでいて どこか 色っぽい

     

    3・11 直後の新幹線は 

    子連れの母子で あふれてた

    家に だんな ふるさと しがらみ

    いろんなものを 後にして 

    西へ 西へ 遠く 遠くへ

     

    この 白髪 抜いてけろじゃ

    鏡を のぞき込みながら 母っちゃの 言う

    びん油の におい

    母の中にある おんな を感じて 

    いやだった 少年の わたし

     

    目の前の

    子どもを 抱っこする お母さん

    物思い に ふける

    わたしの目を キッと 見る

    おっと しつれい

    そこらが どこか かわいらしい

     

    母親 おんな 女神さま

    やっぱり 女のひとには かなわないや

    おかあさんってよんでみた

    • 2013.02.04 Monday
    • 21:35
     2月に、アーサービナードさんの講演が福島であると聞きました。
    ビナードさんは今も広島在住かな?
    広島の原爆の遺品を元にした詩集を出されています。

    下駄、人の影、水筒、その残された原爆のカタチの陰に潜む、
    いくつもの物語を浮き上がらせてくれました。
    彼は、福島の、進行形の現状を見てどんな詩を書かれるのでしょうか。

    私は詩人でも何でもありませんが、昨年の1月に「うらやましい」という詩を
    広島で書いてから、何かに衝き動かされているかのように書いています。
    それは、時代がそうさせるのでしょう。

    今夜も脱原発の金曜アクションが福島駅前であります。
    また、出かけましょう。


    さて、原爆で亡くなった子どもと福島の子どもを思って詩を書きました。
    これもきっと、どこかでつながっている感じがします。

     

     

     

    おかあさんって よんでみた

                      201321

     

     

    おかあさん って よんでみた

    はあい って へんじ きた

    なんでもない ただ

    こえが ききたかっただけ

     

    おかあさん って よんでみた

    なあに って へんじ きた

    なんでもない ただ 

    よんで みただけ

     

    おかあさん って 呼んでみた

    どしたん って へんじ きた

    あのね わたしね

    おかあさんの 

    こどもでよかったよ

     

    うんでくれて 

    ありがとう

    二重生活の日々

    • 2013.01.26 Saturday
    • 19:31
     

    日曜の夜に米沢に行き、今朝、二本松に帰ってきました。
    週末避難している娘を高校に送るためです。


    国道13号の雪はすごく、車高をとっくに超えてます。
    特に栗子峠を越えるときは路面凍結、地吹雪と怖いです。
    でも、一面の銀世界は、昔、登ったヒマラヤの、神々のいる世界を思い出させます。


    「セーリング」という有名な歌があります。その内容ですが、
    「私は航海している。ふるさとに還るために。嵐の海を航海している。
    でも、そんな時にあなたを近くに感じ、自由を感じる」と私は解釈しています。

    ふるさととはどこでしょう?あなたとは誰のことでしょうか?
    私にはそれは、魂のふるさとであり、あなたとは神さまのことを言っているように
    聞こえました。


    原発事故で二本松、米沢と二重生活の私たち。
    国・東電への恨みもありますが、何かに気づかなければ、
    まっとうな怒りで動かなければ、私の体と心はきっとボロボロになるでしょう。

     

    栗子峠の凍てつく道は、私に何かを教えてくれています。

     

     

     「おそるるは」

                 2013年1月21日

     

     

    息 白く

    なにもかも 凍み上がる 朝

    米沢から 福島に向います

     

    モノクロームの 栗子には 

    見えぬ ちからが おわします

    神さま 近くに 感じます

     

    あなたに 愛が 満ちるよう

    わたしに 慈悲が 宿るよう

     

    吹く風 一枚の木の葉

    嫌いなひとの 言葉の陰に

    わたしを責める 言葉の裏に ひそんでる

    大事な意味に 気づけるよう

    ハンドルを握りつ 祈ります

     

     おそるるは 大いなるもの の 声

    アイスバーン ではない

    「ふるさと」

    • 2013.01.20 Sunday
    • 00:49
     

    17日に新潟のNHKテレビで、佐渡の保養センター「へっついの家」に
    保養と家直しにきていた福島の中学生M君の放送がありました。
    新潟の放送なのでまだ見ていませんが、佐渡の仲間からはとっても良かったとの
    コメントをもらいました。

    放射能から身を守るための保養にきているという紹介だったので、
    少しは福島の状況は伝わったかもしれません。


    佐渡の「へっついの家」は築100年の古民家で、五右衛門風呂やかまどなど
    なつかしいふるさとの匂いがする家です。
    そんなことを思い「ふるさと」という詩にしてみました。
    良かったらお読みください。

    ふるさと

     

     

    ふるさと    2013.1.18

     

    おとうさんは 岩手の 平舘

    小学校が 前にある

    おかあさんは 横浜の

    細谷戸 県営住宅で 

    近くに 米軍基地がある

    兄ちゃんたちは 引っ越して

    今じゃ 二本松がふるさとだ

    避難した先 米沢は

    おまえの ふるさとになるだろか

     

    ふるさとには戻れない 

    だから ください 仮のまち

     

    押し寄せる 原発難民の群に

    避難者は出て行け の 落書き

    壊された 高級車の窓ガラス

    分 相応にしろよ ひとり10万も もらってよお

     

    何があったか 知らないが

    何を恐るか 知らないが

    いかる相手がちがうだろ

     

    わたしにとって ふるさとは 

    あったかな まなざしと

    ささえる 仲間のいるところ

    マスクをはずして

    思いっきり 空気が吸えるとこ

     

    わたしにとって ふるさとは

    懐かしい未来に つくるとこ

    「いい年」

    • 2012.12.26 Wednesday
    • 12:28
     

    冬の佐渡に行く。寒そう。
    でも、暖かい「へっついの家」が待っている。


    「へっついの家」とは最近、名づけられた佐渡の古民家で、
    福島や放射能の高い所で暮らす人の保養センターとして来年の春に
    開所を予定している。


    その家を借りる段取りで11月に佐渡を訪れた。
    持ち主のUさんと佐渡市役所の立会いで契約を結ぶことができた。

    借りた家は築100年を超える広くて大きな家だ。
    大家のUさんは現在、新潟市に暮らしているが、この夏のキャンプのことを知り、送らせてもらった記録映像のDVDを見ていたく感激され、こういう活動ならぜひ使ってくださいとトントン拍子に話が進み契約となった。

    契約後の雑談の中である人が、「失礼ですが、関さんはお見かけするといいお年ですよね」と言われた。一瞬、言葉につまったが、「はい、60を超えました」と答えると何も言われず話はそれで終わった。

    さて、落ち着かないのは私のほうで、何が言いたかったのかな、
    いい年をしてこんな市民活動をやっているのかと思われたかなどと気になったが、まあ、いいかと気持ちを切り替えた。


    その後、家の改修のことで囲炉裏を作りたいと相談すると、天井をはがせばいいとか、薪ストーブを入れるので壁に煙突の穴を開けていいかと聞けばどうぞと全てに協力的で助かっている。

    こうしてみると、私への「いい年」という発言も、「いい年と言われる年齢でもがんばっておられますね」といった意味だったのかもしれない。


    一般に「いい年をして」とはいい意味では使われない。
    いい年と言われようが私は路上で歌い、恋もする。
    年に関係なく嫌なことにはノーを言う。
    それは私の生き方と言えばかっこつけ過ぎ。
    本当は「いい年」と言われて内心、カチンときてマイナスに考えていた私がいた。本当に大切なものはなかなか見えない。
    どう受け止めるかはこちら次第だ。

    「ハローワークの叫び声」

    • 2012.11.29 Thursday
    • 00:45
     

    福島市のハローワークのトイレに駆け込んだ。
    用を足し、ため息をついて、ふと前の壁を見ると、

    「仕事がない、死にたいです」の落書きがあった。

    思わず食い入るように眺めていると、その落書きに向かって矢印と、

    「死ぬ前に
    SEXしっちな 中出しで」と書かれていた。

    何とも言えない気分でトイレを出て、何となく求人のコーナーに立ち寄った。
    大勢の人たちが求人票やパソコンの画面を見ている。
    昔、職安、今、ハローワークと明るく見せてはいるが、
    独特の不安気な空気は変わらない。

    しばし眺めていたら係の女性から「何かお探しですか?」と聞かれ、
    そそくさと出てきた。

     
    落書きの、「仕事がない、死にたいです」と、
    「死ぬ前に
    SEX、しっちな」の言葉が頭の中をぐるぐる回っていた。

    あの壁の落書きは、まるでハローワークに集まる人々のうめき声がトイレの壁を突き破って出てきたように思えた。

    「仕事がない 死にたい」と言わせるこの国。
    それに庶民は「死ぬ前に
    SEXしな」とつぶやく。

    そうするしかないのか?
    それとも、体を重ねた温かさで生きる力が生まれるということなのか。


    「死なんでくれ」私は見えない落書きの主に話しかけ続けていた。
    これを詩にしてみました。

     

     

     

    「助けてと言おう」

     

     

    ハローワークの 便所の

    「仕事がない 死にたい」の落書き

    「死ぬ前にSEXしっちな」の落書き

     

    アキハバラ では 

    誰でもいいと 若者が

    見知らぬ人に ナイフを振り下ろした

     

    仮設を出た避難者が

    自宅の納屋で 死を選ぶ

     

    みんな みんな 絶望し

    海に向かって ひた走る

    悲しいネズミの 群のよう

     

    だからさ

    助けて と叫ぼうよ

    困ってます と話そうよ

    ぬくもりが欲しい と泣こうよ

     

    原発事故で 逃げ遅れ

    絶望 の中でしたことは 

    助けてください と友人に

    助けてください と見知らぬ人に

    助けてください と神さまに

    恥も見栄もなく お願いした

     

    すると 

    ある人は 味噌と玄米だと教えてくれて

    ある人を お金をくれて

    ある人は こっちへお出でと呼んでくれ

    神さまは 希望をくださった

     

    だから 

    いま 生きている

    つながりこそが 宝もの

    だから

    助けてと言おうよ

    恥ずかしいことなんかじゃないよ

    あなたの 勇気が 

    みんなを 助けるんだから

    「ソウルメイトとハグ」

    • 2012.11.19 Monday
    • 20:07
     

    1115日、原発事故の責任を問う全国一万数千人の人々の声を集めた陳述書が、
    第二次告訴団によって福島地方検察局に提出された。
    僕はその後に開催される集会のオープニングで歌うことになっていた。

    12時半、会場の県立音楽堂に入りしリハーサルを始めた。
    いまごろ皆はデモかな、検察庁に着いたかな、などと思いながら準備を始めた。
    それを舞台をやっていたというMさんが立ち会ってくれて、「もっと、ギターはマイクから離して」とか、「立ち位置はここ」などとチェックを入れたり会場の音響の担当者と調整をしてくれてリハ終了。

     

    ホールに行くと「灰の行進」のサポートをしてくれたマリさんがソファーでうたた寝していた。側に行きそっと肩に手を置くと目を開け、「オー!」とハグ。
    一緒に座り僕は肩に手を回したら、脱原発の運動をやっているFさんが、
    「な、なんだこの二人は!」と目を丸くして指さすもんだからマリさんが、
    「ソウルメイトなんだからいいんだよ」と言ってニッと笑ってみせた。
    しばらくそうやって話しをしていたがじきにオープニングライブの時間になった。


    最初は一人で「ボラーレ(金曜日の夜は時々)」を歌い、そのあとコーラス隊と一緒に「ピース・オン・アース」、「原発いらないいのちが大事の歌」を歌った。
    リハーサルがあったせいか気持ちよくやれた。

    ライブが終わりMさんに、「どうでしたか?」と聞いたら、良かった、選曲もいい、こびてないなどと言われほっとした。


    ふと、さっきのマリさんとFさんとのことを思い出した。
    僕とマリさんはソウルメイトだとしても、Fさんも混ぜてあげれば良かったかな、
    マリさんと仲のいいところを見せつけられるよりハグし合ったほうが良かったかなあ・・・なんて思ってたら詩ができました。

    読んでくれてありがとうございます。

     

     

    「希望のハグ」

     

    さえちゃんと ハグ  やさしい ハグ

    マリさんと ハグ  あったかい ハグ

    ハセガワさんと ハグしたら

    がっちりして 少し悲しい感じがした

     

    集会や デモでしか会えないね

    でも 魂はつながってるよ いつも

     

    うちの子が ちっちゃい頃

    いっしょに ハグしてたら

    抱っこしてると

    どんどん 好きになっていく と教えてくれた

    たいせつなハグ 愛おしい ハグ

     

    でもね

    キライなひととは できないよ

    ののしられたら なおさらさ

     

    そうだね つらいよね

     

    原発事故が起きてから

    みんな 誰かを傷つけて

    みんな 誰かに傷ついて

    悲しいカルマにはまってる

     

    福島で正気でいるのは難しい

     

    だからね それでもね 

    いつかあなたの 側に行き

    ハグをしたいと 思うのです

     

    大切なハグ 愛おしいハグ

    希望のハグを

    あなたとしたいと 

    願うのです  

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    関ジョニー
    本名 関久雄
    岩手県生まれ
    港湾で働きながら神奈川県の夜学卒業。1977年からバイトとヒマラヤ登山に明け暮れる。  1983年、登山中の転落事故が人生の転機となり、東京「ほびっと村」で無農薬八百屋の見習い。1984年「八百萬屋(やおよろずや)」開業。  1986年のチェルノブイリ原発事故をきっかけに脱原発運動に参加。各地で非暴力トレーニングを開催し、さまざまな反原発アクションを起こす。  1994年に福島県二本松に移住し、塾経営や社会福祉の仕事を経て、現在、自然体験宿泊施設NPO法人「りょうぜん里山がっこう」事務局長を務める。妻と子どもの6人家族。

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