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  • 2013.03.24 Sunday

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    「たたり神」

    • 2013.03.24 Sunday
    • 00:38
     

    3月11日12日と「福島スタデイツアー」をやりました。
    福島のいまをあるがまま見ていただくツアーです。
    参加された兵庫の後藤由美子さんが感想を寄せてくださいました。
    その文章の一部と、私の詩「たたり神」を紹介します。

     

     
    「あれは、世界中が見なければならない」    後藤由美子

     

    今回、何よりも私の胸を打ったのは、三段に積まれて寄せ集められ、
    その上から大きな真っ黒のビニールカバーをかけられたあの仮置き場の
    『モニュメント』でした。

    それはまさしく命が削られ閉じ込められたもの。

    人々の暮らし、親しい生活の中にあった、花、草、野菜、虫、もぐら、ミミズ、種、卵、微生物・・・生き物たちはなぜあんなところに閉じ込められ、ものすごい放射線を浴びながらまだそこで呻いている?
    生活の中にあった最も親しいものたちが、真っ黒の巨大な異様な固まりになって
    増殖していく。
    ー略ー 
    あれは日本中の人達、世界中の人達が見なければならないものだと思います。
    ー略ー 
    私たち人間の間違いをこれほど如実に、象徴的に現したものはほかにないと思いました。

    祈られています。

    いのちの方から

     

     

     

    「たたり 神」

                                       2013年3月19日

     

      

     

    おばあちゃん あれは なあに

     

    あれは ゲンパツの お墓

    青い 袋の中には

    草や花や土や ミミズが 虫が ビセイブツが

    ホウシャノウと 一緒に閉じ込められ

    とてつもない ホウシャセンを あびながら

    袋の中で うめいている

     

    声が 聞こえるだろ 

    痛いよ 痛いよ 苦しいよ 苦しいよ

    あのものたちは わたしたち

    袋の中から 出されない

     

    ごらん 黒いゴムで覆って

    回りを鉄の板で囲んでいるが

    なあに いずれ あのものたちは 

    袋を食い破って外に出て

    たたり神となって 動き出すさ

    風になって 雨になって 

    けものになって 草になって

    米になって 魚になって 

    生き物の中に 忍び込む

     

    おばあちゃん たたり神は なくならないの

     

    あれは にんげんが 作ったものだからね

     

    お前は 遠くに行きなさい

    見たこと 起きたことを伝えなさい

     

    わたしは ここで たたり神をまつろう

     

    そして 考えなさい

    なぜ たたり神が生まれるのかを

     

    「モニタリングポスト」

    • 2013.02.10 Sunday
    • 15:01
     

    福島駅前のモニタリングポストが壊されました。
    他のところでもあったらしく、とうとう福島までも・・・、という感じです。

     
    モニタリングポストの測定値は正しいか?という声も多く聞きます。
    低く設定されていたり、除染の跡地に建てられていたりと不信感を持たれたりしていましたが、こんなことが起きるとは。

     
    いわきでは市役所の壁に「避難者は出て行け」の落書きがありました。
    仮設住宅の高級車や外車10数台の窓ガラスが割られたとも聞いています。
    これらのできごとは何を意味しているのでしょうか。
    仮の町を求めてやってくる避難者と地元住民とのあつれきか、
    お金をめぐってのやっかみか。皆イライラしている。ぐちゃぐちゃな感じ。
    悲しい、怒る相手を間違えている、ある人は「原発さえなかったら・・・」という。

    これが福島の現状です。

     

    詩を書きました。良かったらお読みください。

     

     

    「ワタシハ ハル」

     

    ワタシハ ハル

    モニタリング ポスト

    ホウシャノウ ヲ ハカッテマス

     

    ワタシヲ ミテ

    「高い」トカ 「低い」トカ 「本当か」ト イワレマス

    ワタシハ セッテイサレタ プログラムノ トオリ

    ウゴイテイマス

     

    ワタシノ ナマエハ ハル

    モニタリング ポスト

     

    ヨナカニ ワタシノ カラダニ ショウゲキガ アッテ

    ワタシハ コワレマシタ

    マモナク ウゴケナク ナリマス

     

    ワタシハ ハル

    コワレタ カラダヲ ミテ

    「かわいそう」ト イワレマシタ

    ニンゲンノ コドモ デス

     

    ワタシハ ハル

    マモナク キノウ シナクナリマス

     

    ワタシハ ハル

    ・・・・


    「ハイロアクション」

    • 2013.01.19 Saturday
    • 22:40
     

    1月12日から14日までいわきでハイロアクションの会議がありました。
    久しぶりに会う顔、顔。島根に避難している草野さん、福岡のさえちゃん、
    金沢の浅田夫妻、岐阜のまさきさん、会津のあやちゃん、三春の類子さん、
    いわきの和義さんとハイロの仲間に再会しました。

    そもそも「ハイロアクション」は、2011年の3月27日に40年を迎える
    福島第一原発の廃炉をめぐって全国会議を開こうとしていたネットワークで、
    開催の直前の矢先、「3・11大震災」と「福島原発事故」は起きてしまい、
    メンバーも全国に散り散りになってしまいました。
    さまざまな絶望を味わいながら、それでも行動を起こしていこうよと
    話し合いました。

    その内容は割愛しますが、会議の中で出た話をもとに詩を書きました。
    写真は山木屋地区の仮置き場です。累々と汚染土ありました。



     

     

     

    「新春放談」

     

    アメリカの兵隊が

    トモダチ作戦でヒバクした

    なあんも 知らされてねがったからど

    何十億だか払えよと 日本政府を訴えた

    福島の被害者は ひとり4万円のはした金

    ふざけてるよなあ 

    ひとり 一億円出せと

    訴えても いいんだよ

     

    いいねえ 応援するよ

     

    おれんところの 除染で

    1.5トンの袋が 500袋出たんだよ

    1町歩 あっからなあ

    どこさ 持ってたかは知らねえが

    どこかの 借り置き場だべ

     

    そったらこど やってねえで

    原発さ 持っていき

    ぶちまけたほうが 早いべさ

    それくらい やってもいいんだよ

     

    いいねえ やってよ 応援するよ

     

    いやあ 俺はやらないけどさ

    セキさん 今度は 歩いて土 運ぶんでなくて

    ダンプで 突っ込むのはどうだい

     

    顔を上げると

    いいねえ 応援するよ と

    皆が こっちを見る

    「非暴力でいこう  −IAEA抗議行動とAさんのこと―」

    • 2012.12.28 Friday
    • 01:34
     

    12月15日の朝は雨。
    「原子力安全に関する福島閣僚会議」が開かれる郡山市のビッグパレットには120を超える国の関係者が集まり、それを警備する警官が6,000人集められていた。

    当然、会場には近づけない。
    許可も取らないまま「福島のおんなたち」はイオンタウンから行進してきた。先発で会場の様子を探っていた僕は会場近くのコンビニ前の歩道で抗議行動することを提案した。

    8時半から記者会見。

    その後はアピールに歌、踊り、11時半にはIAEAに申し入れを行なうことになっていた。

    回りには公安と思しき人と警官がたむろし、
    やがて東京からのバスも到着し参加者も100人以上に達した。

    僕は井上さんやナオキさんにピースキーパーをお願いし、
    コンビニに出入りする車の誘導や通路の確保に努めた。
    もちろん、コンビニの店長に挨拶に行き事情を了解してもらった。


    雨も上がった10時半頃、フランスからの市民団体10名が駆けつけ、場は一気に盛り上がった。ところが、その盛り上がりのままビッグパレットのほうに移動を始め止める警官ともめ出した。
    急いで前に行き警官との間に入って交渉をしたが、移動するなら一般の駐車場の道を通って行ってくれとのことで参加者に説明して移動してもらった。

    IAEAとの会見の駐車場に抗議の参加者は200人はいた。

    やがて、IAEAの女性の報道官と外務省の役人が現れ、
    そこで「フクシマアクションプロジェクト」の共同代表と佐々木慶子事務局長が通訳を入れ申し入れを始めた。

    ところが、その最中に参加者の一人が大きな声で野次を飛ばし始めた。僕が側に行ってその人(仮にAさんと言っておこう)に、
    「すみませんが、今、申し入れをやっているので少し静かにしてもらえませんか」と話すと、興奮した様子で、IAEAに抗議するのに何が悪い、俺は福島県民だと言う。

    この人、ひょっとしたらどこかの活動家?と思ったが、
    大きな声は止まない。すると、今度は撮影していたカメラマンが「お前、うるさいんだよ!」と一喝したものだから、Aさんが,「何だこの野郎、やるか」と一瞬即発の空気になってしまった。

    そこで、また間に入って、

    「この場はアクションプロジェクトが申し入れて実現した場なのでこちらの指示に従って欲しい、もめることはやめて欲しい」と話したが、「声を上げているのは俺だけではないだろう、他にも言えよ!」と言われ、確かに回りの野次も多発してきたのでAさんに話すのをやめて戻った。

     
    申し入れは40分ほどで終了。
    しかしその場に集まった参加者の怒りは収まらない感じになってきたので他のスタッフと話し、申し入れは終わったので次の行動に移ってくださいとマイクで解散を告げて終了した。

     

    夕方からはその日の抗議行動の振り返りを含めた市民交流会を郡山駅前のビッグアイでもった。
    東京、名古屋、福岡など県外からの参加者も多く、被爆の現状の話とか、避難のこと、福島の人はもっと怒っていいとの話も出たが、
    内心、そう簡単なことではないんだよなあと複雑な思いで聞いていた。

    その場には僕が対応したAさんもいて、意外にも保育園で働いていることや、何人もの人が原発事故で亡くなっていることなどを訴えていた。
    相変わらずの大きな声で、「そのとおり、拍手!」などと話していた。最後は僕が歌でしめることになっていたが、何か気持ちを落ち着かせたくて「見上げてごらん夜の星を」を歌った。何人もの人が歌ってくれて「やはり歌はいいですね」との感想をもらった。

     

    16日の午前はIAEA会議の傍聴。
    午後からは郡山女子大で海外ゲストの方々を迎えての
    「脱原発市民会議」があった。

    100人近くの参加者があり、フランス、オーストラリアの活動家の実践報告、元レバノン大使の天木直人さんのお話と、福島の現状を武藤類子さんが話された。

    僕はシンポジウムの合間に、「君の神さまはいつも、」という自作の局を歌わせてもらった。昨日の抗議行動から愛の歌を歌いたい気分だったんだ。

     
    夕方からはビッグアイで二日目の市民交流会。
    前半は名古屋の「お坊さんバンド」のライブ。
    類子さんに、「スタッフも大分、疲れているから音楽だけで終わろう」と言われたが、集まった人に二日間を振り返っての「一分間スピーチ」を30人ほどの参加者にやってもらった。

    その中でAさんが、「昨日は大きな声を上げてすみませんでした。悲しい気持ちもありましたが、怒りが止められなかったんです」と言われたので驚いた。

    この日も最後は歌でしめたが、選んだ曲は「何て素晴らしき世界」。

    終わった後でAさんと握手を交わした。力強い握手、嬉しかった。


    大声でIAEAに叫ばずにいられなかったAさん。
    それがこの二日間で行動を共にした「福島のおんなたち」や「アクションプロジェクト」のスタッフの対応や参加者の思いを見聞きしAさんに変化が生じたのかもしれない。

    僕らが大事にしようといっていた「非暴力でいこう」という思いが
    Aさんに伝わったのかなあ、人を一面だけで見ちゃいけないなあと思ったら胸が熱くなった。

     

                       (2012・12・27)

    「原子力安全閣僚会議」って何?

    • 2012.11.06 Tuesday
    • 14:33
     

    11月5日(月)、田村市の船引町で脱原発運動を進めている「福島のおんなたち」を中心とした「非暴力トレーニング」を行いました。

    これは、12月15日、16日に郡山で開催される、国と国際原子力機関IAEAが開催する、「原子力安全閣僚会議」について、その問題点を明らかにし、それに講義する行動をプランを立てるというものでした。

    この会議の中身をざっくり言えば、福島事故の反省を踏まえ、原発をこれからも
    「安全」に推進していく、それを内外に発信する場というものでしょう。
    しかも、この会議を誘致したのは福島県だといいます。
    福島県は昨年、「脱原発」を宣言したはずですが、放射線や除染の研究、健康調査などを福島県と共同で進めるということです。

    一見、何かよさそうな感じですが、これまでのIAEAの中身を見れば
    疑問が沸くのは当然です。

    そこで今回の非暴力トレーニングを通して、この会議の目的は何か、何が問題かを明らかにし、被爆させられた住民としてどんな意見を言い、行動するかの
    ワークショップをやることになったのです。

     


    ●まずはお互いを知ることから


    参加者は10名。
    アイスブレイクの後、午前中はお互いを知る「インタビューゲーム」を行いました。

    その中では、「原発の無い社会を実現するために大切だと思うこと」を
    お互いに話してもらいました。
    その中で出た意見は、人間関係が大切、足るを知ること、放射能に対する正しい知識が大切、自然エネルギのことを知ること等々が出されました。

    午後からは「原子力安全閣僚会議」について、「会議の中身とねらいは何か?」、「この会議の何が問題か?」、「その問題を解決するための具体的な方法は何か?」などについて話し合いました。
    これは、「ファシリテーショングラフイック」という、模造紙に話の内容を書き込み、それを眺めながら閃いたことを書いていくやり方を取りました。

     


    ●「Nothing  about  us   without  us


    その結果、国とIAEAが一緒に行い原発を推進していくことがわかり、
    さらにこの会議や研究機関を福島県が招致していること、
    これまでのIAEAのやり方から、被災者には不利に働くような動きになることが予想されることなどが見えてきました。
    さまざまな行動が提案され、県に事実を確認していくこと、抗議行動を県民にわかりやすく伝えること、「避難の権利」を訴えることなどが確認されました。


    この日の大きな気づきは、何といっても、
    「私たち抜きで、私たちのことを決めないで」ということでした。

    これは、障碍者に対する施策「自立支援法」が制定される時に、
    障碍者から提起されたスローガンでした。
    これと同じく、被爆させられた者たちの声を聞かずに原子力政策が進められていくことに対して、「私たちの声を聞け!」という叫びを上げることははきわめてまっとうで、参加者、全員の共感を呼びました。
    英語で言うと、「Nothing   about  us   without   us」というようです。
    最後はみんなで感想を書いてシェアして終了。

     

    来月の実践にむけた非暴力トレーニングは12月3日に行われます。
    行動のためのシュミレーションやロールプレイングを行います。
    何ができるかは思案中です。人間の鎖、デモ、行進、ダイイン、県への申し入れ、歌や踊りのアピールなどなど知恵を出し合うことになりました。

    この12月15,16日は第二回目の「脱原発世界会議」が東京で開かれるそうですが、ぜひ、現地、郡山に来て一緒に非暴力で行動して欲しいものです。

    「原発事故と歌、歌のチカラ」

    • 2012.10.05 Friday
    • 01:21
     

     この頃、自分の歌の詞を紹介していますが、原発事故以来、何か自分の中で音楽に対する感じ方が変わった気がしています。

     以前から脱原発運動の中で歌われてきた歌に、「海はいのち音頭」というのがあります。これまでは普通に聞けていたのですが、最近はその歌詞の中の、
    「原子力発電所できたならばおしまいよ 鳥たちも 魚たちもみんな死んでしまう」というフレーズが生々しく感じて嫌で、そのことで市民運動の仲間たちと議論になったりしました。それと、原発事故のことをリアルに伝えるラップのグループの歌も聞いてて何かイヤになった気がしましたっけ。
    当事者(被ばく者)になった者として、避難も出るに出れない状況にある者にとって現状をそのまま伝えられても辛いのです。

     事故当初、テレビから津波や原発の映像が流される映像に疲れ、
    時折、エフエムラジオから流れる音楽には随分、心を癒され励まされました。
    福島県の中でよく歌われていたのは「ふるさと」、「上を向いて歩こう」だったと思います。


    私が事故後聞いて心に染みたのは、「あの鐘を鳴らすのはあなた」、
    「世界中のこどもたちが」、そして、はじめちとせの「いつか風になる日」には
    衝撃を受けました。あと、毎日、通勤の車の中で聞き続け、涙を流したのはパクポーの「リムジン江」。彼の歌に心を揺さぶられました。

     今もそうですが、原発事故以来、私は思いっきり泣きたかったのだと思います。
    去年の7月、横浜のオルタナティブ生活館で初めて人前で話す機会をいただいた時、「福島の関が来る」ということで懐かしい仲間たちが大勢、駆けつけてくれました。仲間に会った瞬間から泣けて泣けて仕方ありませんでした。
    辛かったこと、失ったもの、悔しかったこと、先の見えない不安などいろいろ思い返して、これまで抑えていた感情が一気に溢れてしまったのでしょう。
    でも、今でもまだ泣き足りないのだと思います。
    この頃、ようやく人前でも歌えるようになりましたが、以前はいろいろなことがフラッシュバックして胸がつまってしまっていました。


     でも、歌はいいですね。泣かせてくれます。
    詞を書きメロディをつけることで気持ちを昇華させてくれます。
    私の下手な歌でも良かったと集会で喜んで下さる方もいます。それがあるから、
    また、道ばたで歌を歌おうと思うのです。

     

     読んで下さりありがとうございました。

    非暴力で行こう。「原発いらない、命が大事の歌」

    • 2012.09.28 Friday
    • 22:12
     

    毎週、金曜日に全国で様々な脱原発の行動が始まっています。
    その行動の基本には、「非暴力でいこう!」というスタイルが定着しています。

     
    20数年前、私が阿木幸男さんから「非暴力トレーニング」を受けたのがきっかけで、非暴力直接行動で社会を変えようというグループ、「非暴力アクションネット(非暴力団)」を結成してさまざまなことをやってきました。
    六ヶ所村での女たちのキャンプと座り込み、核燃料輸送車の追っかけ、
    原発ゲート前での24時間ノンストップピースドラミング、ゲリラシアター、
    ピースラン、行進などなど。

    中でも大好評だったのがピースソングを歌うアカペラグループ「非暴力団」の結成
    でした。私が歌を書き始めたきっかけがこのコーラス隊の歌を作ったのが始まりです。シュプレヒコールだけでなく、歌でメッセージを伝えていければいいと思ったのです。歌は元気が出ます。ハモルと気持ちいいです。
    機動隊と向かい合って緊張した中でも歌は人を落ち着かせ、冷静な行動に結び付けてくれます。

     

     
    さて、下の詩は、9月27日の夜、福島駅前の金曜日アクションで歌った自作の
    「原発いらない、いのちが大事の歌」です。
    好評(?)でしたので紹介します。呼んでください。
    歌いに行きますよ。

     

     

    「原発いらない、命が大事の歌」

     

    原発いらない いのちが大事  放射能もいらない 子どもが大事

    マスクなしで 暮らしていきたい

    福島ゲンパツ メルトダウンだ  子どもを逃がせ 除染は後だ

    放射能は 誰の頭の上にも降ってくるんだぜ

     

    原発とめても 電気は足りる  原発やめて 自然エネルギー

    脱げんぱつで いこうよ

    明るいビンボー  それがエコロジー

    助け合って生きる  分かち合って生きる

    人はそうやって 生きてきたんだぜ

     

    ピース ピース ピース  ジョイ ジョイ ジョイ  ラブ ラブ ラブ

    ピース オン ザ アース

     

    上りつめるより 降りる生き方  貧しさ辛さ 悲しみいたみ

    それを 分かち合えれば ぼくらは 救われる

    原発いらない いのちが大事  助け合っていこう  分かち合っていこう

    愛し合って いこうぜ

    原発いらない いのちが大事 放射能もいらない 子どもが大事

    みんな 愛し合っていこうぜ  

    脱、脱、脱、脱 原発   

    ラストチャンス

    • 2012.09.24 Monday
    • 22:48
     

    9月23日のNHK番組「チェルノブイリ原発事故 汚染地帯からの報告」
    を見ました。
    20年経って発症する人、健康な子どもが殆どいないこと、それが遺伝する現状。
    わかっていたつもりでしたが、映像を見て衝撃を受けました。
    やはり、ここにいてはいけない、でも、どうやって出ればいいのか・・・。


    まず、「避難の権利」が認められなければなりません。
    以前、野田首相と脱原発運動の市民との会談で何を要求するかの中に、
    「福島のことが抜けている」と議論になりましたが、
    重要度、緊急度を考えるならば第一に子どもの避難があるべきなのです。

     



    話は変わりますが、私は趣味で音楽をやっています。
    17年ほど前に、「ラストチャンス」という歌を書きました。
    湾岸戦争とチェルノブイリ原発事故の後遺症で苦しむ子どもを思って書いた曲ですが、その詞の中に、「チェルノブイリの来る日を覚悟している」というフレーズがあります。・・・が、まさか本当にそうなってしまうとは思いもしませんでした。
    でも、そんな中でも生きていかねばなりません。
    「ラストチャンス」を紹介します。

     

     

    「ラストチャンス」

     

    チェルノブイリの 子どもたちの

    写真の前で 泣くことしかできなかった

    オイルにまみれて 飛べない鳥たちの

    画面に手を合わせるしかできなかった

    誰もが 声に出して祈る ノーモア チェルノブイリ 

    誰もが 声に出して祈る ノーウォー 地上に平和を

    それでも原発は止まらず プルトニュウムはかき集められて

    恋人たちが愛をかわしている夜にも 死の灰は降り続く

     

    諦めたように 誰かがつぶやく

    世紀末だから 仕方ないのさと

    考えたくはないけれど

    チェルノブイリの来る日を覚悟している

    明日を 失って気づく ノーモア チェルノブイリ

    愛しい人を失くして気づく ノーウォ 地上に平和を

     

    もう繰り返したくはない 辛い時代も 胸の痛む 恋の日々も

    もう繰り返すことはできない ラストチャンスだから 

     

    数えきれない人たちが 国を包む姿に震えた

    証券取引所の前で 歌いながら捕まっていく 友の姿に涙した

    誰かが 口汚くののしる 「赤、出て行け!非国民たち」と

    誰ひとり傷つず「ピース」と 書き残して燃え尽きたグレッグのこと

     

    いま 大切なことは ポジティブなイメージ描いて生きること

    深い愛に満ちたきみの行動が そこから生まれる明日のいのち

     

    もう繰り返したくはない 辛い時代も 胸の痛む恋の日々も

    もう繰り返すことはできない ラストチャンスだから 

    「絶望のとなり」

    • 2012.09.24 Monday
    • 22:32
     

    毎週、金曜日の原発反対の行動が全国に広がっています。
    郡山についで福島でも始まりました。
    21日は私もギター抱えて出かけ、自作の「原発要らない、命が大事」と「古時計」を歌ってきました。(趣味で弾き語りやってます)

    「子ども福島」のメーる仲間から挨拶されたり、「頸椎ヘルニア大丈夫ですか?」と声をかけてもらったりしました。「音楽が入るとやっぱりいいよねえ」との声も。
    シュプレヒコールだけだと通る人も、「またか」とか、「何、この人たち?」という顔で通って行きます。伝え方を考えていかないとなあ。

     

    いま、福島の田んぼは黄金色に輝き豊作です。
    米の全袋検査も始まり、100ベクレル以下は「0」のランプがついて「不検出」で出荷されていきます。テレビに映っていた機械の検出下限値は確か11ベクレルでしたが、100以下なら流通オッケーとなります。
    農家には気の毒だがそれでは買えないなあ・・・。

    私は趣味で不耕起の米作りを10年やってきましたが、原発事故でやめました。
    今年の春、伊達市ではあちこちの田んぼで白い粉を散布する光景が見られました。
    ゼオライトでも撒いたのでしょう。
    昨年、天栄村では田んぼに「プルシャンブルー」を撒いて米を作ったのが報道されていましたっけ。農家はそれぞれの地域でセシウムの出ない米作りを必死になって作ってきたのでしょうが、複雑な思いです。

     

    今年の5月の田植え時期、一年ぶりに私のやっていた田んぼに行ってきました。
    七畝ほどの田んぼにはセリがびっしりと生い茂って、土手の葦が田のあちこちにはびこっていました。

    一年であっという間に草だらけになってしまうんだなあ・・と眺めていたら、
    ふと、ここで子どもたちと田植えをやったことや、
    夏、ビーチパラソルを立て、ビールを飲みながら草取りをやったこと、
    その草を取る指の間からドジョウが逃げたことや、
    秋の稲刈りには横浜の友人や青年海外協力隊の人達がきてくれて
    田んぼを通した交流の輪ができていたこと、
    そして、はせがけで天日干ししたお米を、「お父さんのお米はおいしいね」と
    子どもが言ってくれたことなどが、まるで映画のシーンのように次から次へと思いだされ、涙がはらはらとこぼれ落ちました。

     

    原発はかけがえのない思い出も奪っていきます。
    いま、私に米作りを再開する気力はありませんが、農家の仲間、杉内さんや
    大河原伸さん、丸森の北村さんらは土地の再生に取り組み、
    自分の取れた野菜の放射能の数値を公表しながらそれでもいいという方々に
    買っていただく道を選んでいます。
    でも、お客は激減し生活できるレベルにはありません。
    土地を去っていく農家の友人もいます。

    どれが正しくてどれが間違っているなんて簡単に言えない。
    でも、絶望の淵にたたずみながら懸命に道を探る彼らは希望です。
    原発事故という絶望の隣にはあなたがたという希望がいる。
    私もその希望のかけらとなれるよう歩き続けたいのです。


    読んでいただきありがとうございました。

    国会包囲のデモに行ってきました

    • 2012.08.01 Wednesday
    • 21:20

      7月29日、青梅の保養の仕事の帰りに国会議事堂包囲のデモに参加してきました。早く着いたので経産省前のテント村に立ち寄り、しばらく日陰で休んでいました。信号で停まる車の人たちが怪訝そうそうな顔で覗き込んでいきます。
     しばらくして出発地点の日比谷公園に向かうと既にたくさんの人でした。それからデモ隊が出発するまで2時間以上待ちました。でも、集まっている人たちはずーと、「原発いらない」、「再稼働、反対」を叫んでいます。年配者のグループ、若いカップル、親子連れなどなど、ごく「フツー」の市民の人たちでした。
     やっと動き出したデモの参加者はずーっと、「再稼働反対」を叫んでました。私は黙ったまま歩いていましたが、ふいに胸が熱くなり涙が出ました。しばらく歩くと前方で騒いでいる人たちがいて、横断幕に、「日本経済のために再稼働賛成」とか書いてありました。デモ隊に向かって親指を下に向け、「偽善者ども、日本から出て行け!」と叫んでいました。その言葉に怒りよりも悲しい気持ちにさせられました。このデモの中に福島の人がいても、「日本から出て行け」と叫ぶんだろうか。
     デモが終わり議事堂に向かいました。人、ひと、人が正門を目指してました。正門の近くでは太鼓の激しいリズムと「再稼働反対」の声、声、声。警官が「歩道に上がってください」と叫んでましたが、あっという間に車道も解放区になり、警察も何もできません。乳母車の親子、腰を下ろすお年寄り、シュプレヒコールに合わせてステップを刻む若者。まるでカーニバルのようでした。行進のことで握手を求められたり友人と再会したり、でも、明日は仕事なので後ろ髪を引かれる思いで帰ってきました。




    「東京のデモ」


    こんなにも たくさんの人が
    「原発いらない」って叫んでる
    私は 黙って
    看板を背負ったまま
    てくてく歩いた

    突然、
    「偽善者ども 日本から出て行け」
    の声に ふいをつかれ
    涙が出た

    その捨てゼリフ
    二本松でも聞いた

    「ここにいるのがイヤなら
    アメリカでも どこでも
    出ていけば いいじゃないか」

    どこに行けというのだ
    どこまで行けばいいのだ
    裸足のままで

    辿り着いた議事堂の
    シュプレイヒコールは
    国に届くのだろうか
    届くほど私は
    声をあげているのだろうか

    子連れ 若者 カップルの
    ごく「フツー」な人々の

    原発はいらない
    原発はいらないの声 

    うれしくても 悲しくても
    涙は出るもんだね

    ひと泣きしたら
    また
    歩いて いきます




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    プロフィール

    関ジョニー
    本名 関久雄
    岩手県生まれ
    港湾で働きながら神奈川県の夜学卒業。1977年からバイトとヒマラヤ登山に明け暮れる。  1983年、登山中の転落事故が人生の転機となり、東京「ほびっと村」で無農薬八百屋の見習い。1984年「八百萬屋(やおよろずや)」開業。  1986年のチェルノブイリ原発事故をきっかけに脱原発運動に参加。各地で非暴力トレーニングを開催し、さまざまな反原発アクションを起こす。  1994年に福島県二本松に移住し、塾経営や社会福祉の仕事を経て、現在、自然体験宿泊施設NPO法人「りょうぜん里山がっこう」事務局長を務める。妻と子どもの6人家族。

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